鳴門で訪ねたいお城・城跡7選|最初は撫養城から巡ると歴史がつながる!

鳴門で訪ねたいお城・城跡7選|最初は撫養城から巡ると歴史がつながる! 観光

鳴門でお城を探していると、市街地の小高い山に白い天守のような建物が見え、あれは何という城なのか気になる人も多いでしょう。

鳴門を代表する城跡は妙見山にある撫養城で、岡崎城や林崎城とも呼ばれ、現在は市指定史跡として歴史を伝えています。

山上に見える城郭風の建物は当時の天守がそのまま残ったものではなく、旧鳥居記念博物館として建てられ、現在は防災拠点・交流施設の「トリーデなると」として利用されている建物です。

さらに鳴門市内には木津城跡や土佐泊城跡をはじめ、戦国時代の地域史を感じられる複数の城跡が存在します。

ここでは鳴門のお城を観光したい人に向けて、代表的な城跡から撫養城の歴史、アクセス、見学時のポイントまで順番に紹介します。

鳴門で訪ねたいお城・城跡7選

鳴門市には、現在も城郭風の建物が目を引く撫養城跡だけでなく、山城や平城として利用された複数の城跡があります。

天守や櫓が残っている城ばかりではないため、一般的な城郭観光と同じ感覚で訪れると少し印象が異なる場所もあります。

一方で、地形や地名、曲輪や堀の痕跡などを手掛かりに戦国時代の姿を想像する楽しさがあり、歴史好きには興味深い地域です。

初めて鳴門で城跡を巡る場合は、見た目にも分かりやすく観光しやすい撫養城から始めると、それぞれの城が置かれた意味も理解しやすくなります。

ここでは知名度や歴史的背景、現地での見学のしやすさを考えながら、鳴門で押さえておきたい7つの城と城跡を紹介します。

撫養城(岡崎城跡)

鳴門でお城を見たい人が最初に訪れたいのが、撫養町林崎の妙見山にあった撫養城で、現在は岡崎城跡として鳴門市の史跡に指定されています。

戦国時代には四宮氏がいたことが知られ、1585年に阿波へ入った蜂須賀家政が領国支配のために置いた阿波九城の一つとして、四国東部の重要な拠点になりました。

現在の妙見山は公園として整備されており、山上には妙見神社が鎮座し、城郭風の外観を持つトリーデなるとが建っているため、一般の観光客でも城跡であることを実感しやすい場所です。

ただし現在見える三層の建物は戦国時代から残る天守ではないため、歴史的な撫養城と現在の模擬天守を分けて理解しておくと、現地をより深く楽しめます。

鳴門市街を見渡せる立地そのものが城の役割を想像する手掛かりになるので、建物だけでなく妙見山全体を一つの城跡として歩くのがおすすめです。

名称 撫養城(岡崎城跡)
特徴 阿波九城の一つ・妙見山の城跡
向いている人 初めて鳴門の城を訪れる人
見学料金目安 公園散策は無料
注意点 現在の城郭風建物は当時の天守ではない
住所 徳島県鳴門市撫養町林崎

木津城跡

木津城跡は鳴門市撫養町木津にある戦国時代の城跡で、鳴門市が史跡として指定していることから、撫養城と並んで鳴門の城郭史を考えるうえで重要な場所です。

戦国時代の領主であった篠原自遁の居城とされ、1582年には阿波へ勢力を拡大していた長宗我部元親の攻撃を受けて落城したと伝えられています。

その後は長宗我部方の東條関之兵衛が守備したものの、1585年の豊臣秀吉による四国平定の過程で再び落城し、廃城になったとされています。

山頂周辺は現在の土地利用によって往時から大きく姿を変えていますが、山城らしい地形を意識して歩けば、平地から独立した小高い場所を防御拠点にした理由が見えやすくなります。

豪華な復元建築を見る場所というより、地形や堀などから戦国時代の城の構造を想像したい人に適した城跡です。

名称 木津城跡
特徴 篠原自遁ゆかりの戦国期の城跡
向いている人 山城の地形や遺構を見たい人
見学料金目安 屋外見学は料金設定なし
注意点 現在は往時と地形が変わった部分がある
住所 徳島県鳴門市撫養町木津

土佐泊城跡

土佐泊城跡は鳴門町土佐泊浦の松瀬山に築かれた城跡で、鳴門市の史跡に指定されているため、歴史的な位置付けが比較的分かりやすい城跡です。

古城と新城から構成されたとされ、北側や北東側の急斜面に加えて南側や西側を海に面した地形を利用し、小鳴門海峡の良港を押さえる海上交通上の拠点になっていました。

戦国時代には森元村や村春が居城したことが知られており、海を舞台に活動した勢力との関係から、内陸の城とは異なる海賊城的な性格を感じられる場所です。

鳴門海峡周辺が昔から重要な航路であったことを知ってから訪れると、なぜこの場所に城が必要だったのかという地理的な意味を理解しやすくなります。

建物を見る観光よりも海と山の位置関係を味わう城跡なので、歴史だけでなく鳴門特有の地形に興味がある人にも向いています。

名称 土佐泊城跡
特徴 小鳴門海峡を押さえた海賊城型の城跡
向いている人 水軍や海上交通の歴史が好きな人
見学料金目安 屋外見学は料金設定なし
注意点 山地のため歩きやすい装備が必要
住所 徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦

板東城跡

板東城跡は鳴門市大麻町板東に存在したとされる山城で、現在の観光地として大規模に整備された撫養城とは異なり、城跡を自分で読み解くタイプの史跡です。

周辺は山地と平野部の境界に位置しており、城を築く場所として高所から周囲を把握しやすい地形であることが、実際の地図や周辺景観からもイメージできます。

一般的なお城観光で期待される天守や城門が残っているわけではないため、建築物を撮影したい人よりも中世城郭の立地に興味がある人に向いています。

大麻町には四国八十八ヶ所霊場第一番札所の霊山寺など有名な歴史スポットもあるため、城だけを目的にするより地域の歴史散策の一部として組み込むと訪問しやすくなります。

現地では私有地や管理区域へ無断で立ち入らず、公道や安全に歩ける範囲から地形を確認するという城跡巡りの基本を守ることが大切です。

名称 板東城跡
特徴 大麻町板東に位置する山城跡
向いている人 中世山城の立地を楽しみたい人
見学料金目安 料金設定なし
注意点 整備された観光城ではない
住所 徳島県鳴門市大麻町板東

姫田城跡

姫田城跡は鳴門市大麻町姫田にあったとされる中世の城で、現在は明確な天守や石垣が残る城跡ではないものの、地域の歴史を知る手掛かりとして名前が伝えられています。

姫田氏に関係する城とされ、姫田佐渡守や姫田甚左衛門などの名が伝わっていることから、三好氏を中心とする阿波の戦国史と合わせて理解すると位置付けが分かりやすくなります。

現在の城域については明確に確定していない部分もあり、姫田権現社周辺などが候補地として知られているため、一般的な史跡公園とは性質が異なります。

そのため現地を訪れる場合は、城の建物や明確な遺構を探すというより、古い地名や神社、石碑などに残された地域の記憶をたどる意識を持つと楽しみやすいでしょう。

JR立道駅周辺からアクセスできる地域なので、鉄道を利用しながら大麻町の史跡を巡りたい城好きにも候補になります。

名称 姫田城跡
特徴 姫田氏ゆかりとされる中世城館
向いている人 地域史や伝承をたどりたい人
見学料金目安 料金設定なし
注意点 城域には確定していない部分がある
住所 徳島県鳴門市大麻町姫田

川崎城跡

川崎城跡は鳴門市大麻町川崎に存在したとされる平城で、現在では城郭らしい大規模な遺構が残る場所ではありません。

周辺には城ノ内や城ノ東といった城に関係する地名が伝わっており、建物が消えた後も地名の中にかつての城の存在が残されている例として興味深い場所です。

現在の景観は田畑などが中心となっているため、初めて訪れてすぐに城跡だと認識できる場所ではなく、事前に位置関係や歴史を調べてから歩く方が楽しめます。

一方で、平地に築かれた中世城館が近代以降の土地利用によってどのように姿を変えていったのかを考える材料になり、復元天守のある城とは違う面白さがあります。

周辺には旧川崎小学校を活用した展示施設などもあるため、大麻町の郷土史に関心がある場合は周辺の歴史スポットと合わせて訪問する方法もあります。

名称 川崎城跡
特徴 城に関する地名が残る平城跡
向いている人 地名から城跡を探したい人
見学料金目安 料金設定なし
注意点 明瞭な城郭遺構は確認しにくい
住所 徳島県鳴門市大麻町川崎字城の内周辺

土井城跡

土井城跡は鳴門市大麻町松村字土井周辺に存在したと伝わる平城で、現在では宅地や田畑となっており、城郭として分かりやすい遺構は残っていないとされています。

1585年に豊臣秀吉による四国平定が進んだ後、この地域に所領を与えられた毛利重政に関係する城館として伝えられており、戦国末期から近世初頭へ移る時代を考える材料になります。

城跡観光としての派手さはありませんが、現在も字名として残る土井という名称や周辺の平坦な地形から、平地に築かれた居館型の城を想像できます。

JR池谷駅や阿波大谷駅から比較的近い地域に位置するため、鉄道で大麻町周辺の城跡や寺社を巡る場合にはルートへ組み込みやすい場所です。

現在は一般の生活空間になっている場所が多いため、見学時は住宅や農地へ立ち入らず、史跡巡りというより周辺を歩いて歴史的な位置を確認する程度に考えるのが適切です。

名称 土井城跡
特徴 戦国末期に関係する平城跡
向いている人 鳴門の城跡を幅広く巡りたい人
見学料金目安 料金設定なし
注意点 現在は住宅や田畑が中心
住所 徳島県鳴門市大麻町松村字土井周辺

撫養城が鳴門観光で外せない理由

鳴門市内に複数ある城跡の中でも、初めて訪れるなら撫養城がもっとも分かりやすい候補になります。

市街地の小高い妙見山に位置し、遠くからでも城郭風の建物が見えるため、お城らしい景観を楽しみたい人にも向いています。

一方で、現在見えている建物と戦国時代の撫養城を同じものとして考えると、歴史を誤解しやすい点には注意が必要です。

撫養城の面白さは模擬天守の姿だけではなく、阿波九城としての歴史や鳴門市街を見渡せる立地まで含めて体感できることにあります。

ここでは現地を訪れる前に知っておくと理解しやすい三つのポイントを整理します。

模擬天守の正体

妙見山に見える白い城郭風の建物を見て、戦国時代の撫養城の天守が現在まで残っていると思う人もいますが、建物は当時から残る現存天守ではありません。

この建物はもともと徳島県立鳥居記念博物館として利用されていた模擬天守で、2016年に鳴門市の防災拠点・交流施設であるトリーデなるとへリニューアルされています。

そのため、城好きの視点では歴史的な城郭建築そのものを見る場所というより、撫養城跡のシンボルとして建てられた近現代の施設と理解するのが正確です。

一方で城郭風の外観は鳴門市街からも目立ち、妙見山がかつて城として使われていたことを現在の観光客へ伝えるランドマークとして大きな役割を果たしています。

現地では次の違いを意識して見学すると、復元城と史跡を混同しにくくなります。

  • 撫養城は妙見山に存在した歴史上の城
  • 岡崎城跡は鳴門市が指定する史跡名
  • 林崎城は撫養城の別称として使われる名称
  • 現在の城郭風建物は模擬天守
  • 現在の施設名称はトリーデなると

阿波九城としての歴史

1585年に四国平定を経て蜂須賀家政が阿波へ入ると、領国を効率的に支配するため、徳島城を中心として各地の重要地点に支城が置かれました。

これらは阿波九城と呼ばれ、撫養城もその一つとして位置付けられ、鳴門方面を押さえる重要な城として利用されました。

撫養は海上交通と陸上交通の双方を考えるうえで重要な地域だったため、徳島城から離れた阿波北東部を管理する拠点を置く意味がありました。

城代には蜂須賀家政と縁のある益田氏が配置されたとされ、単なる小規模な山城ではなく領国支配を支える支城として役割を担いました。

その後1638年には城が取り壊されることになり、城郭としての歴史に区切りがつきましたが、城下町として発展した地域の記憶は現在の鳴門にも残っています。

時期 主な動き
戦国時代 四宮氏などが城に関係
1585年 蜂須賀家政が阿波へ入国
阿波九城期 撫養城を支城として整備
1638年 城郭が取り壊される
現在 岡崎城跡として史跡化

妙見山からの眺望

撫養城を訪れたら建物だけを見て帰るのではなく、妙見山から周囲の景色を眺めることで、城がこの場所に置かれた意味を考えてみるのがおすすめです。

妙見山は鳴門市街を見渡せる小高い場所にあり、現在でも市街地や周囲の山、海へ続く方向を確認できるため、監視拠点としての立地を体感しやすくなっています。

現代では景色の良い公園という印象が強いものの、戦国時代には周辺を見渡せること自体が軍事上の利点であり、城郭の場所を決める重要な条件でした。

鳴門が阿波の北東部に位置し、海を隔てて淡路方面へつながる地域であることを意識すると、蜂須賀氏がここを重要地点として扱った理由も理解しやすくなります。

桜の時期には妙見山公園そのものを目的に訪れる人も多いため、歴史に詳しくない家族や同行者と城跡観光を楽しみたい場合にも利用しやすい場所です。

初めてでも迷いにくい撫養城の見学方法

撫養城跡は一般的な平地の城跡とは異なり、妙見山の上にあるため、見学前に入口や移動方法を把握しておくとスムーズです。

特にトリーデなるとの内部を見たい場合は、公園へ行けばいつでも建物へ入れるわけではない点に注意が必要です。

鳴門市の案内では通常の開館日と時間が設定されているため、内部見学を主目的にする場合は訪問日を合わせた方が満足しやすくなります。

一方で妙見山公園や城跡周辺の散策を中心にするなら、建物内部へ入らなくても撫養城の立地や雰囲気を十分に感じられます。

徒歩と車のどちらでも訪問できますが、それぞれ楽しみ方が少し異なります。

開館日を確認する

トリーデなるとの内部を見学したい場合は、原則として土曜日、日曜日、祝日の9時から16時という開館時間を意識して予定を立てる必要があります。

年末年始は休館となるほか、市が主催する企画展などが開催される場合には平日に開館することもあるため、訪問直前の情報確認がおすすめです。

またトリーデなるとは単なる観光用の模擬天守ではなく、防災拠点としての役割を持つ施設であり、災害時には一時避難場所としての機能が優先されます。

外から城郭風の外観を見るだけなら開館時間にこだわる必要性は低くなりますが、室内まで見たい場合は休日を中心に予定を組むとよいでしょう。

施設運用は変更される可能性もあるため、旅行日が決まった段階で鳴門市の最新案内を確認してから出かけると安心です。

項目 目安
通常開館日 土曜日・日曜日・祝日
通常開館時間 9時から16時
年末年始 休館
平日 企画展などで開館する場合あり
災害時 一時避難場所としての機能を優先

徒歩で向かう

徒歩で撫養城跡へ向かう場合はJR鳴門駅を起点にできるため、車を利用しない徳島旅行でも組み込みやすい城跡です。

徳島県観光情報サイトでは鳴門駅からトリーデなるとまで徒歩約25分の案内があり、駅前から市街地を歩いて妙見山へ向かう流れになります。

妙見山へ近づいてからは平坦な街歩きとは異なり坂道や階段を通る場面があるため、観光用でも歩きやすい靴を選んでおく方が快適です。

徒歩の利点は山頂へ一直線に移動するだけではなく、城下町として発展した撫養の市街地と城の位置関係を自分の足で確かめられることです。

特に初めて歩く場合は次のような準備をしておくと負担を抑えやすくなります。

  • 歩きやすいスニーカーを選ぶ
  • 夏は飲み物を用意する
  • 雨天後は足元に注意する
  • 日没前に下山する予定を組む
  • 地図で妙見山公園の位置を確認する

車で向かう

車を利用する場合は徒歩よりも山上付近へ移動しやすくなるため、小さな子どもや長距離歩行が苦手な同行者がいる旅行では便利です。

一方で妙見山周辺の道路は大規模観光施設へ向かう幹線道路とは性質が異なる部分があるため、現地では速度を落として案内表示を確認しながら進む方が安全です。

桜の季節など公園を訪れる人が増える時期は通常より混雑する可能性があるため、時間に余裕を持って到着する予定を立てると落ち着いて散策できます。

車なら撫養城を見学した後に木津城跡や土佐泊城跡、大鳴門橋周辺などへ移動しやすく、一日で鳴門の歴史と代表的な観光地を組み合わせられる点もメリットです。

駐車場所や周辺道路の運用が変更される可能性も考え、訪問時には現地案内を優先し、路上や私有地へ無断駐車しないようにしましょう。

城跡巡りで知っておきたい歴史背景

鳴門に多くの城や城跡が残っている背景には、現在の市域が昔から四国北東部の重要な交通地点だったことがあります。

鳴門海峡だけを見れば観光地という印象が強い地域ですが、戦国時代には海上交通や軍事行動を考えるうえで非常に重要な場所でした。

撫養城、木津城、土佐泊城などを個別に見るだけでなく、同じ時代の勢力争いの中に置いて考えると、それぞれの役割が理解しやすくなります。

特に三好氏、長宗我部氏、豊臣方、蜂須賀氏という勢力の変化を大まかに押さえておくと、鳴門周辺の城が短期間に城主や役割を変えた理由が見えてきます。

城そのものが残っていない場所でも歴史を楽しめるのは、この地域全体が戦国期の勢力変化を映す舞台だったからです。

阿波の玄関口

鳴門は徳島県の北東端に位置し、現在でも淡路島や本州方面へ向かう四国側の玄関口として知られていますが、海を介した移動が中心だった時代にも重要性の高い地域でした。

撫養周辺には港があり、人や物資が移動する場所を管理できることは、領国を支配する勢力にとって大きな意味を持っていました。

そのため山上から周辺を見渡す撫養城だけでなく、海に近い土佐泊城や内陸へつながる地域の城館が配置され、それぞれが異なる役割を担っていたと考えると分かりやすくなります。

鳴門の城跡を巡る際には、単独の城として見るのではなく、海、港、街道、平野、山という地形の組み合わせに注目すると城の立地を理解しやすくなります。

特に次の地形を地図で確認してから訪れると、城跡巡りが単なる地点移動ではなく地域全体を見る旅になります。

  • 鳴門海峡
  • 小鳴門海峡
  • 撫養周辺の市街地
  • 妙見山
  • 大麻町方面の平野部

長宗我部氏との攻防

16世紀後半の阿波では勢力関係が大きく変化し、土佐から勢力を拡大してきた長宗我部元親の進出は鳴門周辺の城にも大きな影響を与えました。

木津城は1582年に長宗我部元親に攻められて落城したと伝えられており、その後には長宗我部方の武将が守備したとされています。

撫養城についても戦国期の争いを経て勢力が変化し、1585年の豊臣秀吉による四国平定後は阿波を与えられた蜂須賀家政の支配体制へ組み込まれました。

つまり現在は静かな公園や山として見える場所も、当時は阿波を巡る複数の勢力がぶつかる軍事拠点であり、城を押さえることが地域支配につながっていました。

年号をすべて暗記しなくても、長宗我部氏の進出から豊臣方による四国平定、蜂須賀氏の阿波支配という順番だけ覚えておけば、主要な城跡の説明を理解しやすくなります。

段階 鳴門周辺で見るポイント
三好氏の時代 阿波各地に地域勢力の城が存在
長宗我部氏の進出 木津城などで攻防が発生
1585年 豊臣方が四国を平定
蜂須賀氏の入国 阿波の新たな支配体制を構築
阿波九城 撫養城が重要な支城になる

一国一城令の影響

蜂須賀氏が阿波の支配を固めた後も撫養城が永続的に支城として使われたわけではなく、江戸時代の政治体制が整う中で城郭の役割も変化していきました。

鳴門市の史跡案内では、撫養城は1638年に一国一城令によって取り壊され、代わりに岡崎に御屋敷が設けられたとされています。

そのため現在の妙見山で戦国期の壮大な石垣や建築物を大量に見られないのは、単に年月によって失われたからだけではなく、城そのものが歴史の中で廃止されたことも大きく関係しています。

現在残る地名や地形、史跡としての指定は、建物が失われた後も地域が城の記憶を受け継いできた結果と考えることができます。

現存天守のような分かりやすさはありませんが、城が必要とされた時代から不要になる時代への変化まで考えられる点が、撫養城跡ならではの面白さです。

鳴門観光と城跡巡りを組み合わせるコツ

鳴門まで旅行するなら、城跡だけを短時間で巡るより、渦潮や寺社など地域を代表する観光と組み合わせることで一日の満足度を高めやすくなります。

特に撫養城は鳴門駅周辺の市街地側にあり、大鳴門橋や鳴門公園とは少し場所が離れているため、移動順序を先に決めておくことがポイントです。

城好きなら複数の城跡をつなぐルート、一般的な観光旅行なら撫養城だけを歴史スポットとして加えるルートが利用しやすいでしょう。

山城を含めて何カ所も巡る場合は見学時間より移動時間が長くなることもあるため、訪問数を増やし過ぎない方が一つ一つを落ち着いて見学できます。

旅行時間と興味の深さに合わせて、半日と一日で考え方を変えるのがおすすめです。

半日モデルコース

半日だけ鳴門を観光する場合は、城跡を何カ所も巡るより、代表的な撫養城に絞ってから別の人気観光地へ移動する方が効率的です。

午前中に鳴門駅周辺から妙見山へ向かえば、比較的涼しい時間に坂道を歩けるうえ、山上から鳴門市街を眺めて街全体の位置関係を把握できます。

その後は鳴門公園方面へ移動し、大鳴門橋や渦潮など鳴門を代表する景観を楽しめば、歴史と自然を一度の旅行で体験できます。

車があれば移動の自由度が高くなりますが、公共交通を利用する場合はバスの時間を先に確認し、待ち時間を含めて無理のないルートを組むことが大切です。

半日の基本ルートは次のように考えるとシンプルです。

  • 鳴門駅周辺からスタート
  • 妙見山公園へ移動
  • 撫養城跡を散策
  • 鳴門市街で休憩
  • 鳴門公園や渦潮観光へ移動

一日モデルコース

一日を使える場合は撫養城だけでなく木津城跡や土佐泊城跡を組み込み、鳴門の城が異なる地形に築かれていたことを比較するルートがおすすめです。

午前中は妙見山の撫養城から始めると城郭風の建物や公園があり最初の印象をつかみやすく、その後に遺構中心の木津城や土佐泊城を見ることで城跡を見る目が慣れてきます。

午後から鳴門公園方面へ向かえば、土佐泊城が海上交通を意識した場所に築かれたことと、現在の鳴門海峡の景観を同じ旅行の中で結び付けて考えられます。

大麻町まで範囲を広げるなら板東城跡や姫田城跡も候補になりますが、一般観光向けに整備された場所ではないため、城巡りに慣れている人向けの追加候補と考えるのがよいでしょう。

初めてなら三つ程度の城跡に絞り、食事や休憩を挟みながら鳴門観光を楽しむ方が移動だけで一日が終わりにくくなります。

時間帯 おすすめ内容
午前 撫養城・妙見山公園
昼前 木津城跡
昼 鳴門市街で食事
午後 土佐泊城周辺
夕方まで 鳴門公園・大鳴門橋周辺

服装と安全対策

鳴門の城跡には妙見山公園のように観光しやすい場所がある一方、木津城跡や土佐泊城跡など自然の地形を歩くことを前提に考えた方がよい場所もあります。

夏の徳島は気温が高くなりやすいため、城跡を何カ所も歩く場合は飲み物や帽子を準備し、昼間の暑い時間帯だけに山歩きを集中させない方が快適です。

雨の直後は斜面や落ち葉のある場所が滑りやすくなるため、底の平らな観光用サンダルより、グリップのあるスニーカーや歩き慣れた靴が適しています。

また観光施設として整備されていない城跡では、史跡と一般住宅、農地、私有地の境界が分かりにくい場合があるため、遺構を探す目的でも無断で敷地へ入らないことが重要です。

山中へ入る場合は日没時刻や天候も考え、道が不明瞭だと感じた場所では無理に進まず、安全に確認できる範囲で城跡巡りを楽しみましょう。

城好きなら撫養城から鳴門の歴史をたどろう

鳴門でお城を探すなら、まず訪れやすく見た目にも城跡だと分かりやすい妙見山の撫養城を起点にするのがおすすめです。

現在山上に見えるトリーデなるとは戦国時代から残る天守ではありませんが、撫養城跡の象徴的な存在として鳴門市街からも目を引きます。

撫養城が阿波九城の一つとして重要な役割を持ったことを知り、妙見山から周囲を眺めると、なぜこの場所に城が築かれたのかを現地の地形から想像できます。

さらに木津城跡や土佐泊城跡まで足を延ばせば、山城、平山城、海上交通を押さえる城など、鳴門の城郭がそれぞれ異なる目的で配置されていたことも見えてきます。

復元建築だけを見る城観光とは少し違いますが、現在の街や山の中から戦国時代の痕跡を探していくことこそ、鳴門で城跡を巡る大きな魅力です。