鳴門高校の甲子園出場回数を調べると、春と夏で別々の数字が出てくるため、合計が何回なのか分かりにくいと感じる人もいるでしょう。
2026年8月11日時点で、徳島県立鳴門高校は選抜高等学校野球大会に9回、全国高等学校野球選手権大会に15回出場しており、春夏通算では24回の甲子園出場を記録しています。
甲子園での通算成績は29勝23敗で、春は1951年の第23回選抜大会で優勝し、夏は1950年の第32回選手権大会で準優勝した実績があります。
近年では2025年夏に3年ぶり15回目の選手権出場を果たし、初戦で奈良の天理高校を5対4で破って2回戦へ進みました。
ここでは、鳴門高校の甲子園出場回数を春と夏に分け、歴代の出場年や最高成績、近年の歩み、鳴門渦潮高校との違いまで整理します。
鳴門高校の甲子園出場回数は春夏通算24回?
結論からいうと、鳴門高校の甲子園出場回数は2026年8月11日時点で春夏通算24回です。
内訳は春のセンバツが9回、夏の選手権が15回で、夏の出場回数のほうが6回多くなっています。
2025年夏に鳴門高校が3年ぶり15回目の夏の甲子園へ出場したことで、それまでの春夏通算23回から24回へ更新されました。
一方、2026年夏の徳島代表は鳴門渦潮高校だったため、鳴門高校自身の出場回数は2025年大会以降増えていません。
検索すると古いページで夏14回、通算23回と表示される場合がありますが、2025年夏の出場を反映しているかを確認することが大切です。
2026年8月時点
現在の数字を最初に整理すると、春9回と夏15回を合わせた24回が鳴門高校の甲子園出場回数です。
春夏をまとめて数えるときは、センバツと選手権を単純に合算するため、9回と15回を足して24回となります。
この数字には戦前の1938年春、前身の撫養中学校として出場した大会も鳴門高校の歴史として含まれています。
学校の沿革でも鳴門高校は撫養中学校の校舎や敷地を引き継いで設立されたことが確認でき、野球史でも前身校時代から連続した系譜として扱われています。
なお、春夏通算という数え方は「同じ年に春と夏の両方へ出場した場合もそれぞれ1回」として積み上げるため、1980年や2012年、2013年、2022年のように春夏とも甲子園へ出た年は年間2回として通算回数に反映され、この考え方を理解しておくと出場年数と合計回数が一致しない理由も分かります。
| 区分 | 出場回数 | 最高成績 |
|---|---|---|
| 春のセンバツ | 9回 | 優勝 |
| 夏の選手権 | 15回 | 準優勝 |
| 春夏通算 | 24回 | 全国優勝1回 |
春は9回
春の選抜高等学校野球大会には、鳴門高校の前身校時代を含めて9回出場しています。
初出場は1938年の第15回選抜中等学校野球大会で、このときは撫養中学校の校名で甲子園の土を踏みました。
その後は1951年、1952年、1954年、1970年、1980年、2012年、2013年、2022年に出場し、長い歴史の中で複数の時代に全国舞台へ戻っています。
特に1950年代初頭の強さは際立っており、1951年に優勝、1952年に準優勝と2年続けて決勝まで進出しました。
春9回という数字は選考を経て出場するセンバツだけを数えたもので、夏の徳島大会優勝による出場とは仕組みが異なり、秋季大会などの成績をもとに選考される点も春の出場回数を理解するうえで押さえておきたい違いです。
夏は15回
夏の全国高等学校野球選手権大会には15回出場しており、春よりも出場回数が多くなっています。
夏の初出場は1950年で、その初出場大会から決勝まで勝ち上がり、準優勝という鮮烈な結果を残しました。
近年では2012年から2016年まで5年連続で徳島代表となり、2018年、2019年、2022年、2025年にも甲子園へ進んでいます。
2025年は徳島大会決勝で鳴門渦潮高校を4対0で破り、3年ぶり15回目の夏の甲子園出場を決めました。
夏は各都道府県の地方大会を勝ち抜いた代表校が出場するため、異なる年代で15回も徳島代表になっていること自体が県内で長く高水準を保ってきた証拠の一つであり、近年の出場増加が通算回数を大きく押し上げています。
通算29勝23敗
鳴門高校は出場回数だけでなく、甲子園で実際に勝ち星を積み重ねてきた伝統校です。
2025年夏終了時点の甲子園通算成績は29勝23敗で、春が15勝8敗、夏が14勝15敗となっています。
春は勝率が高く、優勝1回、準優勝1回、ベスト4が1回、ベスト8も複数回経験しているため、単なる出場校ではなく上位進出の実績を持つ学校といえます。
夏も1950年の準優勝に加え、2013年と2016年にベスト8まで進んでおり、時代を隔てて全国で結果を残してきました。
通算では勝ち越しており、特に春の15勝8敗が全体成績を押し上げているほか、決勝進出3回や複数回のベスト8も含まれるため、出場回数と勝利数をセットで見ると全国大会での実績の厚さが伝わります。
| 大会 | 勝利 | 敗戦 | 主な実績 |
|---|---|---|---|
| 春 | 15勝 | 8敗 | 優勝1回 |
| 夏 | 14勝 | 15敗 | 準優勝1回 |
| 通算 | 29勝 | 23敗 | 決勝進出3回 |
最新出場は2025年夏
鳴門高校の直近の甲子園出場は2025年夏の第107回全国高等学校野球選手権大会です。
徳島大会では決勝で鳴門渦潮高校を4対0で下し、2022年以来3年ぶりとなる15回目の夏の代表権を獲得しました。
甲子園の1回戦では全国的な強豪として知られる天理高校と対戦し、5対4の接戦を制して2019年以来6年ぶりとなる夏の甲子園での勝利を挙げました。
続く2回戦では沖縄尚学高校に0対3で敗れましたが、沖縄尚学はその後勝ち進んで大会初優勝を果たしたため、鳴門高校は優勝校と対戦した形になります。
2025年大会の1勝によって夏の通算勝利数は14勝となり、春の15勝と合わせて甲子園通算29勝へ到達したため、出場回数と勝利数の両方が更新された現在の記録を確認する際の基準点となる大会です。
2026年夏は不出場
2026年夏の第108回全国高等学校野球選手権徳島大会では、鳴門高校は準々決勝で鳴門渦潮高校に1対2で敗れています。
その後、鳴門渦潮高校が徳島大会を制して2年ぶり9回目の夏の甲子園出場を決めたため、2026年夏に甲子園へ出場している鳴門市の学校は鳴門高校ではありません。
学校名に同じ「鳴門」が入っていることから、速報や検索結果だけを見て鳴門高校が2026年も出場したと誤認しやすい点には注意が必要です。
したがって、2026年8月11日時点の鳴門高校は春9回、夏15回、春夏通算24回という数字のままです。
2026年の徳島大会で鳴門高校を破った鳴門渦潮高校は、そのまま県代表として甲子園へ進んで初戦にも勝利しているため、「鳴門 甲子園 2026」のような検索では情報が混在しやすく、正式な学校名まで確認することが重要です。
まず押さえたい数字
鳴門高校の出場歴を短時間で把握したい場合は、出場回数だけでなく優勝回数や直近出場年も一緒に覚えると整理しやすくなります。
特に検索結果には2025年夏以前の古い数字が残ることがあるため、夏15回という最新値を基準に確認すると混乱を避けられます。
鳴門高校の甲子園実績で最低限押さえておきたい数字は次のとおりです。
過去の記事では2025年夏を反映していないため通算23回と記載されている場合もありますが、掲載時点では正しい数字だった可能性があるので、ページ同士を比較するときは更新時期まで確認すると整理しやすくなります。
- 春の出場:9回
- 夏の出場:15回
- 春夏通算:24回
- 通算成績:29勝23敗
- 春の優勝:1回
- 夏の準優勝:1回
- 直近出場:2025年夏
これらをセットで把握しておけば、「何回出たのか」「いつが最後か」「全国でどこまで勝ったのか」という主要な疑問にまとめて答えられます。
出場年を並べると見える鳴門高校の甲子園史
鳴門高校の24回という出場回数は、特定の一時期だけに集中して積み上がった数字ではありません。
戦前の1938年春に始まり、1950年代、1970年代から1980年代、そして2010年代以降と、長い間隔を置きながら何度も全国舞台へ戻っています。
特に夏は2012年から2016年まで5年連続出場を果たしており、近年の鳴門高校を全国的に印象付けた大きな時期となりました。
出場年を時系列で見ると、古豪としての歴史だけでなく、現代でも繰り返し甲子園へ届いている継続性が分かります。
ここでは春と夏の出場年を分け、時代ごとの特徴を整理します。
春の出場年
春のセンバツは、1938年から2022年までの間に9回出場しています。
1951年から1954年までの4年間では3回選出され、そのうち優勝、準優勝、ベスト8とすべての大会で上位まで進みました。
1970年と1980年にも出場した一方、その後は長い空白があり、2012年に32年ぶりのセンバツ出場を果たしています。
2012年と2013年は2年連続で春の甲子園へ進み、さらに2022年にも9年ぶり9回目の出場を果たしました。
春は出場間隔が大きく空いた時期もありますが、優勝や準優勝、ベスト4、ベスト8まで進んだ大会が複数あり、出場した際に深いラウンドまで勝ち上がった歴史が目立ちます。
| 年 | 大会 | 結果 |
|---|---|---|
| 1938年 | 第15回 | 初戦敗退 |
| 1951年 | 第23回 | 優勝 |
| 1952年 | 第24回 | 準優勝 |
| 1954年 | 第26回 | ベスト8 |
| 1970年 | 第42回 | ベスト4 |
| 1980年 | 第52回 | 1回戦敗退 |
| 2012年 | 第84回 | ベスト8 |
| 2013年 | 第85回 | 3回戦敗退 |
| 2022年 | 第94回 | 1回戦敗退 |
夏の出場年
夏の選手権は1950年の初出場から2025年までに15回出場しています。
1950年、1952年、1966年、1980年、1995年、2010年と間隔を空けて代表になった後、2012年からは出場頻度が大きく高まりました。
2012年から2016年まで5年連続で出場し、その後も2018年、2019年、2022年、2025年と近い間隔で甲子園へ戻っています。
夏15回という数字のうち10回が2010年以降の出場であることから、鳴門高校は歴史の長さだけでなく近年の強さも大きな特徴です。
全15回のうち3分の2に当たる10回が2010年以降に集中しているため、鳴門高校は古豪として過去の実績を持つだけでなく、現代の徳島高校野球でも代表争いの中心に位置してきた学校だと分かります。
| 時期 | 出場年 | 回数 |
|---|---|---|
| 1950年代 | 1950年・1952年 | 2回 |
| 1960年代 | 1966年 | 1回 |
| 1980年代 | 1980年 | 1回 |
| 1990年代 | 1995年 | 1回 |
| 2010年代 | 2010年・2012年・2013年・2014年・2015年・2016年・2018年・2019年 | 8回 |
| 2020年代 | 2022年・2025年 | 2回 |
時代ごとの特徴
鳴門高校の甲子園史は、大きく分けると戦前から1950年代の躍進期、1970年から1980年の再浮上期、2010年代以降の安定期という流れで見ると分かりやすくなります。
1950年代前半は春優勝、春準優勝、夏準優勝を経験しており、全国の頂点を争うレベルで結果を残した鳴門高校野球部の黄金期といえます。
2010年代は全国優勝こそないものの、県大会を継続的に勝ち抜いて出場回数を大きく伸ばし、2013年と2016年夏にはベスト8まで進みました。
時代によって強さの現れ方は異なりますが、長期間にわたって徳島県を代表する有力校の一つであり続けている点が鳴門高校の特徴です。
古い時代の全国決勝進出と近年の連続出場では実績の性質が異なるものの、出場間隔が空いた時代を挟みながら何度も全国で結果を残しているため、年表を追うほど復活と継続の両方が見えてきます。
- 1938年:前身校で春初出場
- 1950年代:全国決勝へ3度進出
- 1970年:春ベスト4
- 1980年:春夏ともに出場
- 2012~2016年:夏5年連続出場
- 2013年・2016年:夏ベスト8
- 2025年:夏15回目の出場
センバツ9回の中で際立つ全国優勝の歴史
鳴門高校の甲子園史で最も大きな実績は、1951年春のセンバツ優勝です。
春は9回の出場で15勝8敗という好成績を残し、優勝だけでなく準優勝、ベスト4、ベスト8も経験しています。
特に1951年から1954年にかけては全国上位の常連となり、鳴門の名を高校野球ファンに強く印象付けました。
さらに2012年には32年ぶりのセンバツ出場でベスト8に入り、古い時代だけの実績ではないことも示しています。
春の成績を追うと、鳴門高校が「出場回数の多い学校」であるだけでなく、「全国で勝った歴史を持つ学校」であることが分かります。
1951年の優勝
1951年の第23回選抜高等学校野球大会では、鳴門高校が春の甲子園で全国優勝を達成しました。
1回戦で八幡高校に2対0、準々決勝で扇町商業高校に6対4、準決勝で長崎西高校に4対3で勝利し、決勝へ進みました。
決勝では兵庫の鳴尾高校と対戦し、3対2で競り勝って学校史上唯一となる甲子園優勝を成し遂げています。
4試合すべてを勝ち切ったこの大会は、鳴門高校野球部の歴史を語るうえで中心となる実績であり、現在まで残る全国制覇の記録です。
決勝の3対2を含めて接戦を勝ち切りながら頂点へ到達した1951年の優勝は徳島県の高校野球史でも重要な実績であり、春夏24回の出場歴の中に全国の頂点へ到達した大会が含まれていることが鳴門高校の歴史の重みにつながっています。
| 試合 | 対戦校 | スコア |
|---|---|---|
| 1回戦 | 八幡 | 2-0 |
| 準々決勝 | 扇町商 | 6-4 |
| 準決勝 | 長崎西 | 4-3 |
| 決勝 | 鳴尾 | 3-2 |
1950年代の強さ
1951年の優勝だけを見ると一度だけの快進撃のように感じられますが、当時の鳴門高校は複数年にわたって全国上位へ進んでいました。
翌1952年春も決勝まで進み、静岡商業高校に0対2で敗れたものの準優勝となり、2年続けてセンバツ決勝へ進出しています。
1954年春には岡崎高校と芦屋高校に勝ってベスト8へ進出し、小倉高校に敗れるまで2勝を積み上げました。
この時期の結果をまとめると、鳴門高校が全国大会で安定して勝ち上がる力を持っていたことがよく分かります。
1950年夏の準優勝から1952年春の準優勝まで短期間に決勝進出が続いているため、この時期は単発の好成績ではなく、春夏を問わず全国トップクラスの競争力を複数大会にわたって保っていた時代といえます。
- 1951年春:優勝
- 1952年春:準優勝
- 1954年春:ベスト8
- 1950年夏:準優勝
- 1952年夏:甲子園出場
2012年以降の春
1980年春の出場後、鳴門高校は長い間センバツから遠ざかりましたが、2012年に32年ぶり7回目の出場を果たしました。
2012年は洲本高校に2対1、作新学院高校に5対4で勝利してベスト8へ進み、準々決勝で健大高崎高校に敗れています。
翌2013年も2年連続でセンバツへ出場し、宇都宮商業高校を2対1で破った後、3回戦で聖光学院高校に3対4で敗れました。
2022年は9年ぶり9回目の春出場となり、1回戦で大阪桐蔭高校に1対3で敗れたものの、再び全国舞台への出場歴を更新しました。
2012年の復活出場でいきなり2勝を挙げてベスト8へ進み、翌2013年にも1勝したうえ、この時期は夏の5年連続出場とも重なっているため、春夏を通じて鳴門高校が全国舞台へ頻繁に登場した時期でした。
| 年 | 出場回数 | 最終成績 |
|---|---|---|
| 2012年 | 7回目 | ベスト8 |
| 2013年 | 8回目 | 3回戦 |
| 2022年 | 9回目 | 1回戦 |
夏15回は準優勝から5年連続出場まで歴史が厚い
夏の甲子園は鳴門高校が最も多く出場している全国大会で、2025年までに15回代表となっています。
初出場の1950年にいきなり準優勝したことに加え、2013年と2016年にはベスト8へ進出しているため、全国で複数世代が勝利を重ねてきました。
特に2012年から2016年までの5年連続出場は、徳島県大会を長期にわたり勝ち抜いた安定感を象徴する記録です。
その後も2018年、2019年、2022年、2025年と出場しており、近年だけを見ても鳴門高校が何度も徳島代表になっていることが分かります。
夏の歴史は、初出場時の全国準優勝と2010年代以降の高い出場頻度という二つの見どころがあります。
1950年の準優勝
鳴門高校が夏の甲子園に初出場したのは1950年の第32回全国高等学校野球選手権大会です。
初出場ながら明石高校、新宮高校、米子東高校、済々黌高校を次々と破り、徳島代表として決勝まで勝ち上がりました。
決勝では愛媛の松山東高校と対戦し、8対12で敗れて準優勝となりましたが、初出場校が4勝して決勝へ進んだこと自体が非常に大きな実績です。
この大会で挙げた4勝は、現在の夏通算14勝の大きな土台となっており、鳴門高校の夏の歴史は最初の大会から全国上位で始まりました。
1950年大会だけで夏通算14勝のうち約3割に当たる4勝を記録しており、初出場で全国準優勝という成績は現在も夏の最高成績として残っているため、この快進撃が鳴門高校の夏の歴史に占める割合は非常に大きいといえます。
| 試合 | 対戦校 | 結果 |
|---|---|---|
| 1回戦 | 明石 | 4-2で勝利 |
| 2回戦 | 新宮 | 10-9で勝利 |
| 準々決勝 | 米子東 | 8-7で勝利 |
| 準決勝 | 済々黌 | 9-6で勝利 |
| 決勝 | 松山東 | 8-12で敗戦 |
5年連続出場
近年の鳴門高校を語るうえで欠かせないのが、2012年から2016年まで続いた夏の甲子園5年連続出場です。
県大会では毎年相手も選手も変わるため、5年続けて代表権を得るには一つの強い世代だけではなく、継続的な育成とチームづくりが必要になります。
この期間中の2013年には星稜高校、修徳高校、常葉菊川高校に勝ってベスト8へ進み、2016年にも佐久長聖高校、智弁学園高校、盛岡大付高校を破ってベスト8に入りました。
出場を続けるだけでなく、複数年で全国3勝を挙げて準々決勝へ進んだことが、2010年代の鳴門高校の評価を高めています。
5年連続出場の間には初戦敗退の年もありましたが、地方大会では毎年最後まで勝ち切っており、この5年間だけで夏の出場回数が7回目から11回目まで一気に増えたため、現在の通算出場数を押し上げた中心的な期間です。
- 2012年:7回目
- 2013年:8回目・ベスト8
- 2014年:9回目
- 2015年:10回目
- 2016年:11回目・ベスト8
2025年の15回目
2025年夏は鳴門高校にとって3年ぶり15回目の選手権出場となり、春夏通算の出場回数を24回へ伸ばした大会でした。
徳島大会決勝では前年夏の代表校だった鳴門渦潮高校を4対0で完封し、県代表の座をつかんでいます。
甲子園では1回戦で天理高校に5対4で逆転勝ちし、鳴門高校としては2019年以来6年ぶりの夏勝利を記録しました。
2回戦では沖縄尚学高校に0対3で敗れましたが、沖縄尚学はその大会を最後まで勝ち抜いて夏初優勝を達成しました。
2025年は監督交代後のチームが徳島大会を勝ち抜き、甲子園常連の天理高校との接戦にも逆転勝ちしたことで、過去の連続出場期から時間がたっても再び全国で勝てることを示した大会として位置付けられます。
| 段階 | 対戦校 | 結果 |
|---|---|---|
| 徳島大会決勝 | 鳴門渦潮 | 4-0で勝利 |
| 甲子園1回戦 | 天理 | 5-4で勝利 |
| 甲子園2回戦 | 沖縄尚学 | 0-3で敗戦 |
| 最終成績 | 第107回大会 | 2回戦敗退 |
鳴門渦潮高校と混同すると出場回数がずれる
「鳴門 高校 甲子園出場回数」と検索するときに最も注意したいのが、鳴門高校と鳴門渦潮高校を同じ学校として数えないことです。
両校はどちらも徳島県鳴門市にあり、校名に「鳴門」が付くうえ、どちらも甲子園出場歴があるため検索結果では情報が並びやすくなっています。
しかし、徳島県立鳴門高校と徳島県立鳴門渦潮高校は別の学校であり、甲子園出場回数もそれぞれ独立して集計されます。
2025年夏は鳴門高校、2026年夏は鳴門渦潮高校が徳島代表だったため、直近2年だけを見ても代表校が入れ替わっています。
出場回数を正確に確認するには、年度だけでなく正式な校名まで見ることが重要です。
鳴門渦潮とは別校
鳴門渦潮高校は2012年に鳴門第一高校と鳴門工業高校が統合して誕生した学校で、徳島県立鳴門高校とは別の系譜を持ちます。
そのため、鳴門渦潮高校や前身校の甲子園出場実績を鳴門高校の春9回、夏15回へ加えることはありません。
2026年夏には鳴門渦潮高校が徳島大会を制し、2年ぶり9回目の夏の甲子園出場を果たしましたが、この数字は鳴門高校の15回とは別に扱われます。
同じ鳴門市の県立高校でも野球部の記録は学校ごとに独立しているため、記事や速報を読むときは校名を最後まで確認すると安心です。
鳴門渦潮高校の前身である鳴門工業高校などにも甲子園実績があるため、鳴門市の高校全体を調べる場合と鳴門高校単独の出場回数を調べる場合では集計対象が異なり、同じ市名を冠する学校同士でも歴代記録は統合されません。
| 項目 | 鳴門高校 | 鳴門渦潮高校 |
|---|---|---|
| 学校 | 徳島県立鳴門高校 | 徳島県立鳴門渦潮高校 |
| 2025年夏代表 | 出場 | 徳島大会準優勝 |
| 2026年夏代表 | 不出場 | 出場 |
| 記録の扱い | 独立集計 | 独立集計 |
前身校は含まれる
別校の鳴門渦潮高校は加えない一方で、鳴門高校の前身に当たる撫養中学校の出場は学校史の一部として数えられます。
1938年春の初出場時は現在の「徳島県立鳴門高等学校」という校名ではなく、旧制の徳島県立撫養中学校として大会に出場しました。
その後の学制改革を経て1948年に鳴門高等学校が設立され、撫養中学校から校舎や敷地などを引き継いでいます。
高校野球の学校別記録でも1938年春を鳴門の初出場として扱うため、春9回の中にはこの1回が含まれると理解すると数字が合います。
学校別の歴代記録では校名変更や学制改革をまたぐ前身校の実績を継承して集計する場合があり、鳴門高校では撫養中学校時代の1938年春がその例なので、現在の校名と違うことだけを理由に除外すると一般的な学校別記録と一致しなくなります。
- 1938年春:撫養中として出場
- 1948年:鳴門高等学校設立
- 1950年夏:鳴門として夏初出場
- 前身校の春出場は鳴門の記録に含む
- 鳴門渦潮の記録は含めない
古い情報に注意
鳴門高校の出場回数を調べる際は、掲載ページの更新時期によって夏14回、春夏通算23回という古い数字が残っている場合があります。
これは2022年夏までの実績としては正しい数字ですが、2025年夏に鳴門高校が15回目の選手権出場を果たしたことで現在は更新されています。
また、2026年の甲子園に鳴門渦潮高校が出場しているため、「鳴門」という部分だけで判断すると鳴門高校の出場回数まで増えたように見えることがあります。
数字を確認するときは「春9回」「夏15回」「最新出場2025年夏」の3点を照合すれば、情報が新しいかどうかを判断しやすくなります。
検索結果の要約文だけでは更新状況が分からない場合もあるため、2025年夏の「3年ぶり15回目」という記録が反映されているかを基準にし、さらに2026年夏の徳島代表が鳴門渦潮高校であることまで確認できれば現時点の数字を正確に整理できます。
| 表示される数字 | 意味 | 判断 |
|---|---|---|
| 春9回・夏14回 | 2022年夏まで | 現在は古い |
| 春9回・夏15回 | 2025年夏反映 | 現在の数字 |
| 2026年夏の徳島代表 | 鳴門渦潮 | 鳴門高校とは別 |
鳴門高校は春夏24回の出場を誇る徳島の伝統校
鳴門高校の甲子園出場回数は、2026年8月11日時点で春9回、夏15回、春夏通算24回です。
甲子園通算成績は29勝23敗で、1951年春に全国優勝、1950年夏と1952年春に準優勝を記録しています。
春は1951年の優勝だけでなく1954年と2012年のベスト8、1970年のベスト4など上位進出が多く、9回という出場回数以上に濃い実績があります。
夏は1950年の初出場で準優勝し、2012年から2016年には5年連続出場、2013年と2016年にはベスト8まで勝ち上がりました。
直近では2025年夏に15回目の出場を果たし、天理高校に5対4で勝利して2回戦へ進んでいます。
2026年夏の徳島代表は鳴門渦潮高校であり、鳴門高校とは別校なので、2026年大会を鳴門高校の25回目として数えないようにしましょう。
また、1938年春の撫養中学校としての出場は鳴門高校の前身校の実績として春9回の中に含まれるため、古い校名を見つけても別の学校として差し引く必要はありません。
出場回数だけでなく優勝歴や連続出場、近年の勝利まで合わせて見ると、鳴門高校が長い時代にわたって徳島高校野球を代表してきた存在であることがよく分かります。
春と夏の出場回数を別々に答える必要がある場面では、「春9回、夏15回」と伝え、合計を聞かれた場合に「春夏通算24回」と補足すると、どの数字を指しているのかが明確になります。
また、甲子園での最高成績を尋ねられた場合は、春が1951年の優勝、夏が1950年の準優勝であり、春夏を通じた全国制覇は1回と整理すれば分かりやすいでしょう。
近年の実績としては2012年から2016年の夏5年連続出場、2013年と2016年の夏ベスト8、2025年の15回目出場と天理高校戦の勝利が代表的で、古豪という言葉だけでは表せない現代の実績もあります。
さらに2025年夏終了時点で春15勝、夏14勝、合計29勝を挙げているため、出場回数だけを眺めるよりも、勝利数まで合わせて見ることで全国大会でどれほど結果を残してきたかを具体的に把握できます。
一方、2026年夏の甲子園で徳島代表として戦っている鳴門渦潮高校は鳴門高校とは別校なので、2026年大会の結果が進んでも鳴門高校の春夏通算24回や夏15回という数字には加算されません。
前身校の扱いでは1938年春の撫養中学校としての出場を含める一方、鳴門渦潮高校やその前身校の実績は含めないという線引きを理解しておけば、学校別データを見比べたときの数字の違いにも迷いにくくなります。
甲子園出場回数は今後の春季選考や夏の徳島大会の結果によって更新される可能性があるため、将来この数字を確認するときは、2025年夏の15回目以降に鳴門高校が新たに全国大会へ出場しているかを確認するのが確実です。
